国際政治「お湯と温度計」

国際政治「お湯と温度計」

 

 米国国防総省は、1月3日、イラクの空港でイランのカセム・ソレイマニ司令官を殺害したことを表明した。

 彼はイラン革命防衛隊の司令官であり、イラク軍や、シリア、レバノン民兵を手下に派遣を握る工作の司令塔でした。

 

 

「日本のメディアでは『米国の誤算』との解釈や『今回は米大統領が悪い』などの意見なども見られますが、国際政治の力学は、仲良しクラブでは無く。悪いことをしていなくても、相手の都合で寝首をかかれるのが現実です。

 

 ちなみに、人種間の融和を唱ったオバマ大統領が一代で出した暗殺許可は、リンカーン大統領からクリントン大統領までの暗殺指令より多いものでした。

 

 今の世界を地政学的に観れば、ねじれた国際政治(環境)が本来の安定した形状に戻す状況での、揺り戻し、摩擦と感じます。

 

 私のような素人でもネットの普及で、地球の反対側で起きた事の情報を集め、観察出来る世の中になりましたが、当然、影響力はありませんし、それで良いのです。

 最近知ったのですが、観察するまで結果はわからないのが量子力学的了解。意見は別でも、ネットなどで観察する人が増えれば、皆がコップのお湯に温度計を入れるように、結果は変わるのかもしれません。

 

 一方、国内政治を見れば、日本の安全保障に反する隣国の工作を受け、簡単に現金を受け取り、国会で悪法を立法する議員達。国民も地方議員レベルから安全保障を考えなければいけない状況なのですが。既に、地方議会、公務員、町内会レベルでも、反日勢力(カルト、極左、暴力)に浸透されているのが現状です。

 戦後七十年以上の間接侵略を受けた状況、洗脳は簡単に解けないでしょう。

 

 

オバマ大統領 特殊部隊 暗殺指令、検索結果

https://www.google.co.jp/search?hl=ja&source=hp&ei=xToVXvW3Dr2Hr7wP45O8wAM&q=%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98+%E7%89%B9%E6%AE%8A%E9%83%A8%E9%9A%8A+%E6%9A%97%E6%AE%BA%E6%8C%87%E4%BB%A4&oq=%E3%82%AA%E3%83%90%E3%83%9E%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98+%E7%89%B9%E6%AE%8A%E9%83%A8%E9%9A%8A+%E6%9A%97%E6%AE%BA%E6%8C%87%E4%BB%A4&gs_l=psy-ab.3...3733.3733..7487...0.0..0.110.190.1j1......0....2j1..gws-wiz.....0.BDndxy5aUIs&ved=0ahUKEwi1rpCA9_LmAhW9w4sBHeMJDzgQ4dUDCAg&uact=5

 

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半眼で観る世界

 

 

 話は飛びますが、私は、約50年前の中学の授業で、「宇宙(私たちの体も)は、分子で出来ていて、その中身は原子(原子核と電子)」と教わりました。

 その数年後、科学雑誌などで、その、原子核の内部は「素粒子であり、宇宙の構造の究極を構成し、その相互作用で、宇宙の現象は起きる」との発見報道、特集があり、一時、ブームにもなりました。

 

 当時、その発見は、「仏教の宇宙観(世界観)と一致する」との指摘も多く見ました。

 簡単に言えば、「人間は相互関係『縁起』で存在するもの」と言うことでしょう。

 

 西洋哲学で言えば、ヘラクレイトスは「万物流転説(水、石、空気)」を唱え。顕微鏡もない時代に、デモクリトスは「究極の存在(絶対に分割できない粒)」を「原子」と名付け「空虚(空間)」を飛び回り、結合したり分離したりすることで世界が出来上がっているとする「原子論」を唱えました。同じことでしょう。

 

 話を戻しますが、その素粒子の宇宙を川の流れに見立てて、その中に結ばれては消える渦を、人間や花、石に例えるエッセイを読んだことを思い出します。

 京都の石庭や、チベット仏教の若いお坊さんが、砂絵具(色を着けた砂)で、曼荼羅を板に描いては完成すると、すぐに砂絵を流す修行を見ました。

 子供の頃、砂場で見立て遊びをしたり、粘土遊びをした事は誰にでもあり、子供でも気付ける世界観かもしれません。

 

 相互関係でしか存在し得ないのに、私たちは存在を「個我」としてしか認知することしか出来ず、その人間の存在様式が「苦」であるとも、昔、本で読みました。

 

 人はそれぞれに生まれ育った環境で、生き方、考え方は違います。

 山の民、海の民、砂漠の民に合った、文化伝統、仕来り、宗教、政治を、それぞれに育んで来ましたが、仏教では、それを「方便」とします。

 

 人の心は信念の中に落ち着くものですが、それに固執すると、現実を見失い、醜い結果になります。

 

 例えば、お好み焼きの解釈(広島風、大阪風)で喧嘩するのは笑い話、解決は簡単ですが、宗教となると簡単には行きません。

 明治の廃仏毀釈運動の勢いは、田舎のお寺の裏の破られた石仏の数でも判ります。

 日本の伝統文化は多神教的文化でしょう。地理的にも気候的にも恵まれた、日本列島に合った比較的穏やかなものです。意見の違いは『お互い様』と多少の居心地の悪さを我慢する社会です。心理学的に言えば、緩やかな自我。そんな日本でも、精神的伝統を新しい西欧流の価値観に変えると、自我の安定を失い、新しい価値観と齟齬のある伝統を排斥してしまうのです。

 

「大東和戦争」敗戦後の新宗教の乱立も、占領軍の『日本人に戦争の罪悪感を植えつける』東京裁判焚書、検閲や、宣伝工作で、自我の安定を失った結果でしょう。

 日本を『戦犯国』とする朝鮮も、当時は同じ日本。対日戦勝を祝う現在の中国(中国共産党)とも戦っていません。日本の多くのメディアも、なぜか、この事実を伝えず、心理学(交流分析)的に言えば「I am(中朝)OK。You(日本)NOT OK」「I am(日本)NOT OK」のブラックな情報空間を戦後つくって来ました。そんな、事実と真逆の洗脳とは決別し、日本(世界)の未来を考える情報空間を造るのが、これからの時代です。

 

 

 釈迦も老子ウパニシャッド(哲学)の無分別智の結論から始まります。

 老子は「混沌とした何かが、天地よりも先に存在した。それは、ひっそりとして形もなく、何ものにも依存背づ、あまねくめぐって休むときなく、天下を生み出す母ともいうべきものである。私は、その名を知らない。かりに『道』と呼び、無理に名付けて大と呼ぼう」と表現しました。宇宙のビックバン、地球の生命誕生ともオーバーラップしますね。

 

「学問をし、分別(言葉)を増やし、一方、分別を減らし、知識を減らしていった先に無為の境地がある」との老荘思想ウパニシャッド哲学の融合が禅(思考を他者として観る体験)と聞きます。

 つまり、分別を停止して、「無分別智」の境地に達した状態が「仏」。思考ではなく、体験することでしか悟りには到達できない。言葉では「わかったつもり」だけになると聞きますが、今の私です(笑)。

 

 国際政治で言えば、情報を得て、情報に左右されず、観察する状態でしょうか?

 

 さらに話は飛びますが、保釈中の身でありながら、昨年末、ゴーンさんは、レバノンに逃げてしまいました。

 フランスの哲学者ルソーは「国家などなくても良い。大多数の幸福をもたらさない国家は解体して、作り変えれば良い」「王に反逆し、革命せよ」「王VS民衆」の二項対立で「革命」フランスはセーヌ川を血で染め、共和制に移行しましたが、そのゴーンさんはベルサイユ宮殿で結婚式をあげました‥。国民がイエローベストを着るわけが解りますね(笑)。

 

 話を戻します。私が国際政治を観る時、言語の違いは区別体系の違い、コンピューターのプログラムのように抽象度の上下で分類し理性(悟性)的に見れば、共通認識が出来ると考えていますが、世界を言語化(分別知)し、さらに世界を直感的に理解(無分別智)出来る、量子状態コンピューターが早く出来ないでしょうか(笑)。